下街道

下街道

「下街道」は、江戸時代から明治にかけて中山道恵那の槙ヶ根追分と名古屋城下を結ぶ庶民の街道として多くの人馬や荷物が行き交いました。その中間となる高山宿は馬継ぎ、荷継ぎ場として賑わいました。また、東へ向かう際は善光寺街道、西へ向かう際は伊勢道・熱田道などと呼ばれ、信仰の道としての役割も果たしていた歴史があります。

中山道の各宿場は下街道の通行量が増えるのを懸念して寛永元年(1624年) から下街道通行停止の訴えを尾張藩奉行に何度も申し出ましたが、下街道は幕府直轄の「天領」であったため通行量は減らず人馬の往来はより盛んになっていきました。現在でも街道沿いには、歴史を感じさせる建造物などが多数残っています。

名称
下街道
よみかた
したかいどう
住所