下街道高山宿

下街道高山宿

高山宿は下街道十五里二日の行程の中間地点であったため馬継場、宿場町として栄えました。明治5年(1872年)の高山村絵図に五人組十九組約百戸、宿屋が十軒ほど記載されているので、使用人を含めて数百人ほどの集落を形成していたものと思われます。